2021.06.15
その他【イベントレポート】事業承継を経て、治療主体から「予防主体」医院への葛藤 〜「構造」改革と承継に取り組んだ2代目の挑戦〜
今回は2021年5月24日に開催したオンラインセミナー「事業承継を経て、治療主体から予防主体医院への葛藤 〜構造改革と承継に取り組んだ2代目の挑戦〜」の様子をお届けします。
愛知県西尾市にある「米津歯科医院」院長 新美 卓也先生と、数多くの歯科医院の経営サポートをされている「グロースリンク税理士法人」木部 功大 さんにご登壇いただきました。
【登壇者】
米津歯科医院 新美 卓也先生
グロースリンク税理士法人 木部 功大さん
【モデレーター】
株式会社DentaLight 鎌倉 翔
「事業継承」に至るまでの葛藤と本音
あらためまして米津歯科医院の新美と申します。承継、継承などで葛藤されている方が、たくさんいらっしゃると感じています。僕の経験やしくじってきたことなど、なるべく包み隠さずお話できればと思っています。
新美先生、どうぞ宜しくお願いいたします。
当院は開業が1980年になります。僕の父親が先代、初代として開業しました。42年目の病院となります。ユニットは現在6台で、治療用が4台、DH用が2台です。1日の平均来院者数は60~65名程度です。
2009年から僕が非常勤として医院に入ってきました。まずは元々勤務していた所を、常勤から非常勤転換して、週2日から入った状態です。2013年に医院の内装、設備のみ、リニューアルしました。
継承に関しては、まず前提も大事なので、簡単な自己紹介もいたします。僕は4人兄弟の長男として生まれてきました。田舎の長男で基本的に家業を継ぐというのが暗黙のルールというニュアンスで、幼稚園の卒業文集から既に将来の夢は「歯医者さん」を書いていました。そのため、実家に近い形態をとっている医院で、最初から見学・勤務しました。4年間常勤で勤務し、徐々に頻度を増やしながら、2013年から常勤で実家の医院で勤務しています。
実家に戻った初日ですね。初日は見学だけというかたちで入りましたが、診療開始5分後、「急患を診てくれ」と言われました。何がどこにあるのか分からないと思ったのですが、とにかく診てくれということだったので、しょうがないということで、急患を診させていただきました。
5分で診てくれと言われたんですね。どこに何があるかわからない中だとかなり慌ただしいですね。
今でも忘れられないのですが、その時にみた患者さんの歯冠が崩壊しておりまして、右下奥歯が全部露髄状態でしたね。非常に印象深いです。 その後も何とか治療して、ちょっと見学しようかなと思ったら、次の人診てくれみたいな、そういうのが続いたんですね。やたらこの病院急患来るというのが初日の印象でこれが野戦病院かと本当に体感しました。
まさに「野戦病院」だったのですね。
時間通りに始まることが、ほぼなかったですね。急患が大量に来ますので、時間を守れないんですよ。全ての患者さんをどんな理由あったとしても、来た順で見ていくみたいな形でした。 今まで経験してきた病院とは異なるので、本当にびっくりしたのを覚えています。 さらに当時患者さんのメンテナンスや歯周病の治療というのは、全くいなかったですね。全てがむし歯の治療や補綴治療、欠損、入れ歯の処置の方でした。
以前の勤務医時代に忘れられない患者さんが1人いらっしゃいます。その方は当時20代後半の女性で、口腔内の状態があまり良くなく、あまり良くなく、多くの歯が2次カリエスになってました。 当時僕は2年目で若かりし頃で、2次カリエスを治さなきゃっていう気持ちで、とにかく治療を優先していました。もうそろそろ治療が終わるなというタイミングで、その女性が急にパタッと来なくなったんですね。ただ当時の僕は、連絡をするだとか、受付の人に電話をかけてもらうとか、そういったことをせずに、来なくなっちゃったなぐらいにしか思わなかったんですね。
その後は、どうされたんですか?
約2年後ぐらいに、その方が戻ってきました。2年間、来れなくなった理由を聞いてみると、ご結婚や妊娠、出産をされて、どうしても通えない期間があったとのことでした。そうかと思い、口腔内を見たところ、愕然としました。 残念なことに治療した部分ではないところが悪くなっていました。
そんなことになっていたんですね・・・。
そして、僕がその時にした治療が、忘れられませんね。右上6番の抜歯をしました。僕は何をしているのかなとその時に思ったんですね。僕は良かれと思って悪い所の治療をして、この人に良くなってほしいという思いで、治療をしていたのですが、もっと悪くなってるじゃんって思ったんですよ。何で僕は抜歯しているのかな、こんなことしたくて歯医者になったんだっけなって思いました。 一方で、そんな想いをもって、実家に戻ったら、目の前には全然違う世界が広がっていたという状態です。 だからこそ、治療主体から、予防主体をしっかりと考えていかないといけないと思いました。
ありがとうございます。ここから、実際に実家に戻り、取り組まれていくわけですね。
はい。まず、取り組みを説明する前に、政治家では「ジバン(地盤=組織力)、カンバン(看板=知名度)、カバン(鞄=お金)」という3つのばんが重要と言われます。これを歯科医院の継承に当てはめてみると、地盤は組織力なので、スタッフ。看板は野立て看板ではなく、患者さんの数、質、評判。鞄はお金で、資本や資金力、借金の有無、設備などですかね。
なるほど。確かに継承に当てはめるとわかりやすいですね。
まず一つ目に取り組みました。 僕がうまく引き継ぐコツは何かなと思ったときに、時間をかけることしかないと思いました。徐々に変わっていくこと、「茹でガエル現象」を僕は狙いました。 急激な変化は嫌がられます。やりたいことは、たくさんあったものの、グッとこらえて、とにかく今の医院のシステムになるべく溶け込むように、溶け込むように、というのを意識して、まずは認められることを意識しました。
僕が一番避けたかったのは、スタッフ全員が辞めることですね。正直あるあるだと思うんです。ただ、僕は、勤めてくれてありがとう、という気持ちがすごく強かったんですね。その人たちを裏切ることはできないなと思ったんです。 なので、なるべく安心感を提供できるようにしながらと思い、じわじわと変えつつ、システムや新しい機材、材料など導入させてもらいました。 継承だけではなく、そもそも病院をうまくいかせるためには、どう考えてもスタッフの協力が必要不可欠だと思います。特に予防歯科を提供していこうと思うと、ドクターの頑張りよりも、やっぱりスタッフさん、特に歯科衛生士の力がすごく大事になってくるかなと思います。
やはり、急激な変化はどんな人でも抵抗感はありますよね。
そうですね。次に2つ目です。患者さんによく言われた言葉は「何ですぐ治療してくれないの?」「お掃除はいいから」とめちゃくちゃ言われたんですよ。 何でかと言うと、治療型の病院には、とにかく痛みをとってくれという方が大多数だったんですね。もちろんとるんですけれども、とった後に口腔内の歯ブラシの指導をしますとか、歯周治療をしていきますなどを伝えていくと「は?」って当時すごく言われたんですね。 ただ、僕らがやっているのは治療ですよっていうのを、常にずっといい続けていて、患者さんに少しずつ、少しずつですが、浸透していくまでには本当に時間がかかりました。
患者さんもいきなり今までと違うやり方を提案されると困りますよね。
特にお願いしたのは、予約時間を守っていただきたいということはお願いしました。ただ、患者さんにお願いするだけではなく、なるべく時間をこっちも守る。むしろ、こっち側から守っていく。もちろん離脱される患者さんはいました。でも最近だと、すごく少なくなってきたかなと、個人的には思っております。
それでは3つ目ですね。ここは、歯科医院を事業承継・継承される皆様の誰もが気になるテーマですね。
今回の最大のテーマ、先代との向き合い方です。色々な場所で、「あの新美先生ですか」と言われることがあったんですよ。どの新美かなと思ったら「継承で困ってるけど、頑張っている新美先生でしょう」といった感じで言われるほどです(笑) 医院や組織の形は、トップの考え方や器によって決まってくると僕は思っています。当時の治療型の医院の状態は、先代院長のつくった結果なのです。だから当時、僕は全く受け入れられなかったですね。ですので、かなり反発しました。とはいえ、当時心に決めたのは「診療行為そのものには口を出さない」これだけは心に決めました。その代わり設備やシステム、予約時間などに関しては、ガンガン口出しはしていました。
一方で、新美先生は「継承」に対して、どんな想いや考えをお持ちでしたか?
まず自分に向き合うことですね。どういう医療を提供したいのか、どういう歯科医師になりたいのか、どういう医院を経営したいのか、というのをまず自問自答することが絶対条件だと思います。 医院を継承するというのは、形や箱を引き継ぐのか、それとも先代の思いや考えだけを引き継ぐのか、あるいは両方を引き継ぐのか、いろんな考え方があります。僕は箱ごと引き継ぎましたが、実は、正直もう嫌だったので、約3年ぐらいかけて休みの日に、当院の周りで土地が空かないか、ずっと不動産会社を回ったりして探していました。結果的に残念ながら僕は徳がなかったんでしょうね、いい土地がなかったんです。だから諦めて2013年にリニューアルしました。周りでいい所があれば、そこで開業するというのも、僕は悪くない選択だと思っています。
そういう選択肢も検討されていたんですね。
なぜならば先代の病院が、例え、閉めたとしても、近くで開業していれば、結果的に患者さんを受け入れることができると思います。そういう引継ぎ方も、僕は悪くないんじゃないかなと思っています。 ただ、そもそも僕が最大にしくじったことは、先代とちゃんと向き合わなかったことです。僕は本当に腹を割って話すというのを途中で投げ出したのが、実際の状況です。ぜひ、皆さんには、僕と同じ道を歩んでほしくないのです。先代とちゃんと腹を割って1回話をした方がいいと思います。ぜひ、先代の思いを聞いてあげていただきたいです。
なんでこういう病院なのかとか、どういう気持ちで開業したのとか。もし2人きりが恥ずかしかったら、例えば馴染みのメーカーさん、ディーラーさんに入ってもらうとか、顧問の税理士さんに入ってもらうとか、それでもいいと思うんですよね。 しっかりとお互いが歩み寄ることが、僕はすごく大事なんじゃないかなと思っています。
新美先生、ありがとうございます。ここから実際にデジタルにというところに医院全体で取り組まれたというところも簡単にご紹介いただければと思います。
デジタル化への挑戦。紙予約簿から、予約システム「ジニー」へ
僕がジニーに決めた背景です。初期投資のハードルが低いことですね。他社だとドーンとお金を払って、ランニングコストとかも払っていくということが多いのですが、初期投資が少なく済むのがメリットですね。そして導入後のサポートも非常に手厚いです。困ったことがあったら、すぐに連絡がつきます。これは、僕だけではなく、スタッフにもとっても安心です。
サポートに関しては、弊社も最重要であり、こだわっています。
移行した結果、振り返って良かったと思うのは、やっぱり、結果的に「紙台帳」から脱却できたということですね。紙台帳の弱点は1個しかないところです。受付で使っていると、例えばメンテナンスで次の予約を取りたいと思っても、台帳が1個しかないと無理なんですね。
紙は、まさにですよね。
僕も最初は、紙を移行することについてメンタルブロックはありました。ただ、デジタルになると、もう紙には戻れないですね。スタッフもそう言っています。
これまで紙から移行された医院の皆さん、仰っていますね。
あとは、ジニーのシステムは本当にどんどん成長しているという印象があります。そしてシステムだけではなく、DentaLightに勤める社員さんは、すごくいい人が多いので、そういう意味ではアフターフォローも安心ですね。
結局、一番触れるのは受付を中心としたスタッフの皆さんなので、どれだけ協力態勢ができるのかなと思います。新美先生は、この辺りは、どのように現場のスタッフと進められましたか?
そこに関しても、めっちゃ時間をかけましたね。「やりたいけど、どうかな?」というのを言い続けました。僕の中では決めていましたけれども、スタッフからOKをもらうまでは我慢しましたね。時間は半年ぐらいで、僕は結構時間をかけたと思っています。
「事業継承」は誰にでも訪れる未来である
さらにここから10年、20年を見据えた米津歯科医院について、ぜひお伺いしていきたいなと思うのですが、いかがでしょうか?
まず、今後、人口が減るということは絶対にデジタル化していくしかないと思いますね。特に昨年のコロナ騒動があって、デジタル化が加速したと思うんです。そのデジタル化を通した上で、予防歯科医院を確立していく。立ち向かっても意味がないので、うまいこと乗っていくことが、すごく大切なことかなと思いますね。
僕は今41歳で現在は承継を受ける側ではあるのですが、20年後の2040年頃になると承継する側に僕自身はなっていきます。日本の流れや時代の背景の推移などを念頭に置いた上で、やっぱり医院経営をしていくというのは、すごく大事なことなんじゃないかなと感じています。
質疑応答。歯科医院の事業承継・継承に関するリアル質問が数多く・・・
(※一部をご紹介します)
ありがとうございます。そろそろ1時間弱なのですが、実はまだ事前にいただいていた質問に、ここからご回答していただくという時間になっていますので、木部さん、ここからぜひバシバシよろしくお願いいたします。
はい、お願いいたします。
早速幾つかご紹介します。
「メンテナンスを増やす上での特色、何か必要でしょうか?」
最初に言わないといけないことがあるのですが、うちもまだ「じわじわしか増えていませんよ」ということだけは、しっかりとお伝えしなきゃいけないかなと思っています。 ただ、僕が思うには、基本に忠実が一番大事なんじゃないかなと思っています。特色も大事なんだけれども、基本が一番大事で、何が基本なのかですが、やっぱり「メンテナンスは大事」と伝えるとか、例えば紙媒体を渡すとか、パンフレット渡すとか、特色を出すのではなくて、患者さんに伝え続けていくという姿勢はすごく大事なんじゃないかなと、個人的には思っています。
ありがとうございます。木部さんは、いかがですか。
新美先生がおっしゃった通りかなと思うのですが、どうしても差別化、差別化というところで、他の医院と違うことをしないといけないと頭がなってしまいがちなのですが、まずは、やっぱり、当たり前のことが当たり前にできている、一般的なこと、それこそ先ほど先生がおっしゃった情報提供だったり、受付さんが患者さんの目を見て話すだったり、衛生士さんが自己紹介することなのかもしれません。そういう一般的なことを、標準化できることをまず、当たり前に徹底した先に、また違う差別化の特色をみつけても、全然遅くはないんじゃないかなと考えています。
ありがとうございます。それでは次の質問にまいります。先ほどスタッフの所で少しご説明はあったのですが、もしここで補足等があれば、こちらのご質問です。勤務していたスタッフの方を変えていくための戦略、取り組みを知りたい、というご質問です。
「勤務していたスタッフを変えていくための戦略や取り組みを知りたい」
僕も昔、あのスタッフを変えたいとか、何とかしたいと思った時期はありましたが、基本原理があって「他人は変わらない」という、変われるのは自分だけですね。だから自分が、その相手との話し方を変える、見方を変える、接し方を変えることによって、もしかしたら相手が変わってくれる可能性はあるんですよね。自分が変わるというのが大事かなと思います。
これは継承関係なく、どの形態でも同じ悩みを持っていると思います。新美先生がおっしゃる通りですよね。相手を変えようと接すると、相手も変わりたくないと防御がどんどん出てきてしまいます。なので、自分が変わりつつ、相手から「この人はきっと自分のことを理解して、共に歩んでくれるパートナーになるに違いない」という、そこは信じる力というところも、経営者には必要なのではないかなと思います。
「事業継承を考えており、実家に戻ると、メンテナンスのシステムもない、DHも診査診断もなく、簡単なSCしかしていない。治療主体で何から手を付けたら良いかわからない」
これは昔の僕ですよね。すごく気持ちが分かるんですよね。まず焦らないというのが大前提だと思います。そして、自分のフォロワーをみつけること。それはスタッフでも、患者さんでも、理解してくれる人がみつかるまで、とにかく諦めないということが大事じゃないかなと思います。本編でもお伝えしましたが、急激な変化は絶対に嫌われます。じわじわと変化させていくしかないかなと思っています。
やっぱり思いをスタッフさんやお父さま、先代の方と「こういう医院をつくりたいんだ」という思いを共有する、それこそ先生が本編でお話しした女性の話など聞くと、やっぱりそこに先生の志だったり、思いの種があるんだということを聞くと、先生をサポートしたい、一緒に先生の夢を実現したいと思われた方も、たくさんいると思うのですが、やはり皆さん一人一人そういうストーリーがあると思うんです。志をしたきっかけに人は動くんじゃないかなと思いますので、そこを頭ごなしに「これ、やるぞ」となっても、なかなか変化しづらい部分もあるのかなと思っています。
「現在継承を視野に父の医院で副院長として勤務中です。 実際に継承するタイミングはいつがいいのか?また、どのような準備をすると良いのか?」
まずタイミングに関しては、ケースバイケースだと思うのですが、基本的には先代と話す。そして、思いを聞くしかないと思うんですよね。僕はそこで「いざこざ」しましたので、ズルズル引っ張ってという感じでした。2人で話せなかったら、ディーラーさんやメーカーさん、顧問の税理士さんを交えた中で、腹を割って話すことが大事になってくるかなと思います。ちなみに僕はリニューアルまで4年かかって、継承するまで9年かかりました。そこは本当にしくじったところかなと思います。一般的には大体3年~5年ぐらいが適切ではないかと言われています。
私は職業的なところで、ちょっとお話ができればと思います。われわれは、現場のお話も、もちろん聞かせていただくのですが、やはりお金や人事面の部分の承継も難しい問題だなと思っています。お母さまにあたる方が実権を握っているケースもあります。例えば、診療は息子先生にシステムが変わりましたが、お金や採用に関する面はお母さまのお伺いを立てなければいけないということがあります。本当にそういったところも踏まえて継承していくことが、必要なのではないかなと思っています。もちろん診療の部分も大切ですが、裏側の部分、経営を支えているお金の部分や人事面の権利と言いますか、そこの権限移譲というところも少しずつ、どのようにして、もらっていくのか、というところも考えていただければと思っています。